
Interview
社員紹介
技術や知識が、「きつい仕事」を
好きな仕事」にする
高野さん 作業船 機関長
1997年4月入社

-日本海工に入社されたきっかけを
教えてください
(高野)神奈川県の水産系高専で機関の勉強をしていました。
機関に携われそうだということと、神戸という土地への憧れもあって、日本海工に入社しました。
ただ、実際に入社直後はオペレーターに配属され、しかも、神戸ではなく関東の現場に入ったんですけどね。
オペレーターは船上の「なんでも屋」です。
デッキのことは何でも処理できないといけませんので、覚えることがとてもたくさんありました。
せわしなくデッキを走り回っているうちに18年の年月が流れ、39歳の時に機関へ異動しました。
それからはずっと機関の仕事をしています。
-元々機関の勉強をしていたとはいえ、
オペレーターから機関への異動はどうでしたか?
(高野)勉強したとはいえ18年も前ですし、正直大変でした。
しかも、前任の方からの引き継ぎ期間が2ヶ月しかない。
知識も技術も足りない状況で、お台場の現場で1か月の間、缶詰になって整備を行いました。
この経験も、良かったのかなと今では思います。
もう一つ良かったことがあります。
短期間ですが、別の船の機関長が来てくれて、徹底的にご指導いただいたことです。
その方が持っている機関士として必要な情報の全てを、大きなホワイトボードに、ものすごい勢いで書いていかれるので、私はそれを必死に書き写し、さらに同じ内容を別のノートに5~6回書き写しました。
何度も何度も繰り返し書き写すことで、頭に叩き込めと言われました。
私の人生で一番、勉強したと思っています。

-ホワイトボードの機関長の話は、
他船の機関長からも伺いました。
忘れられないエピソードとして、
高野さんと同じことをおっしゃっていましたよ。
現場のお仕事で、
高野さんの印象に残っていることはありますか?
(高野)印象に残っているというより、オペレーター時代の忘れられない現場が2つあります。
1つは、韓国の釜山での現場です。
現場は5ヶ月ほどの短い期間だったのですが、季節が秋から冬にかけてでした。
釜山の真冬は、-10℃とかになるんです。
初めて体験する寒さに、気が遠くなりました。
あの寒さだけは、絶対に忘れられません。
-大変だとおっしゃりながらも、
高野さんはとても面白可笑しく
お話ししてくださいますね。
(高野)本当に大変でしたよ!寒かったですし、暑かったですし。
それでも、この仕事を続けることができた最大の理由は、オペレーターの仕事も、機関の仕事も、好きだということです。
先ほどお話しした機関長だけでなく、オペレーター時代の先輩にも惜しみなく技術や知識を教えてくれました。
勿論、私も努力もしましたが、彼らが導き、育ててくれたおかげで、きつい仕事が、自分にとって得意な仕事になり、いつからか自分の好きな仕事になっていたんですよ。
私を育ててくれた先輩の一人が、お酒を飲むと良くおっしゃっていたことがあります。
「今度はお前が下にちゃんと教えて、いい船員にしてあげてくれ」と。
私自身、一人前の船員に「なった」というより、「してもらった」という気持ちが強くあります。
私がしてもらったように、仕事を好きだと思えるレベルの技術や知識を、私も次の世代に引き継ぎたいと思います。
-高野さんは
後輩育ても「大変だ!」といいながら、
楽しみながらされそうですね。
インタビューさせて頂き有難うございました。
